社会福祉法人 福島県社会福祉協議会 避難者生活支援・相談センター

川内村社会福祉協議会

2019/01/17
 

認知症の夫婦を地域が支える


社協名 川内村社会福祉協議会
時 期 H24.4~


【背景】

  • 川内村は福島第一原発事故により平成23年3月16日に全村避難を決定し、多くの村民が郡山市のビッグパレットふくしまへ一時避難した。
  • その後民間借上げ住宅(みなし仮設住宅)や同年5月末に郡山市内に完成した応急仮設住宅に転居し避難生活が続いた。
  • 震災前に同居していた親子の世帯が避難を機に、若年の子世帯は通学通勤に便利な市街地の民間借上げ住宅(みなし仮設住宅)に住居を構え、高齢の親世帯は応急仮設住宅に住む世帯分離のケースが顕著に現れた。
  • 応急仮設住宅に住む高齢世帯の中には、見知らぬ土地での長期避難生活による心労も重なり、認知機能が著しく低下し日常生活にも支障をきたす世帯も現れ始めた。
  • 川内村社協では平成23年8月から生活支援相談員2名で、応急仮設住宅の高齢世帯を中心に訪問見守り活動を開始した。



【取り組み】

《応急仮設住宅での見守り》

  • 80歳代のA夫婦は郡山市のビッグパレットふくしまで一時避難後に、隣接する「郡山南一丁目仮設住宅」で避難生活を開始した。
  • 震災前から子どもたちとは別居し自分達夫婦二人で自営業を営みながら生活しており、避難してからは郡山市内に住む知人が毎日のように来ていたので、仮設住宅での不便さはあったものの落ち着いた生活を営んでいた。
  • 平成26年頃、週1回の安否確認のため訪問していた生活支援相談員は、部屋の中にゴミが散らばっていることが気にかかり、訪問頻度を週1回から2回へ増やし、生活の様子も注意深く観察することにした。
  • その後、訪問するたびに部屋の中はゴミがたまるようになり、食べ物の腐ったようなにおいがするなど、明らかに生活に乱れた変化が現れた。
  • 生活支援相談員はすぐに村の保健師に相談し、保健師の主導でA夫婦に医療機関を受診させたところ、妻が軽度の認知症であることが判明した。
  • 保健師が中心となり妻の介護認定を受け、介護サービスの申請を行い、週3回の訪問介護ヘルパーの生活支援を受けるとともに、生活支援相談員も週一回の訪問活動を続け、
    見守りを続けた。
  • 平成28年頃に、夫が普段あまり飲まないアルコールを昼間から飲むようになったり、会話のつじつまが合わなくなったりすることに気づいた生活支援相談員は、村保健師へ相談し夫も医療機関を受診させると、夫も軽度の認知症であるとの診断を受けた。
  • 平成28年3月末での「郡山南一丁目仮設住宅」無償提供の終了に伴い、A夫婦の「帰村したい」という意思を尊重し、村内の村営住宅に転居した。



【帰村後の対応と工夫】

《関係機関の見守り》

  • A夫婦が暮らし始めた村営住宅は、生活支援相談員の事務所と道路を挟んだ向かい側にあったため、週1回の訪問に拘らずに逐次訪問し気にかけていたが、A夫婦の認知症は徐々に進行し、服薬を忘れることが度々起こった。
  • 担当医師からともに認知症のA夫婦の一番の課題は確実に服薬することと聞いていたので、生活支援相談員は村保健師、ケアマネジャーと連携し、それぞれの訪問日が重ならないように調整するとともに当日の服薬を確認することにした。
  • 生活支援相談員は食事の後に訪問を計画し服薬を確認した。村保健師、介護ヘルパーも同様に訪問の際には服薬を確認した。

《村民による見守り》

  • そんな時、A夫婦の妻の行方が分からなくなる事件が起きた。
  • 朝、家を出た後の消息が不明となり、生活支援相談員を始め社協職員や保健師など手分けして探した。
  • みんなで探し始めて小一時間が過ぎたころ、村民の方がAさんの妻が一人で道を歩いていたのを不思議に思い、社協へ連絡をくれた。
  • 村民の言う場所に行ってみたところ、Aさんの妻が道端に座り込んでいた。話を聞いてみたら、床屋に行こうとしたが道が判らなくなってしまい休んでいたとの事だった。
  • この事件をきっかけに、ご近所からA夫婦の様子を気に掛ける兆しが見受けられるようになった。
  • そこで、生活支援相談員はご近所にA夫婦の見守りをしてもらうことができないかを社協内で話し合った。
  • そして、特に親身に心配してくれるご近所数世帯に、A夫婦の事情を話し徘徊や異常時の見守りをお願いすると、快く承諾してくれた。
  • 社協からご近所の方へ依頼する際、個人情報の提供についてはA夫婦の息子に了解を得てから、ご近所に必要最小限の事を丁寧に説明し、出来る範囲での協力をお願いした。


【効果】

  • Aさん夫婦の様子に大きな変化はなかったが、A夫婦を見守る「目」が増えたことが幸いしたのか、徘徊や行方不明になることはなくなった。
  • 災害公営住宅において、住民同士がお互いを気に掛けるような意識の変化が生まれ、入居者同士が立ち話する姿や、サロンに参加する人数が増えた。




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