社会福祉法人 福島県社会福祉協議会 避難者生活支援・相談センター

本宮市社会福祉協議会

2018/10/11
 

震災直後の避難者支援と避難先社協の役割


社協名 本宮市社会福祉協議会
時 期 H23.3~

【背景】

  • 平成23年3月11日に東日本大震災が発生し、本宮市社協は3月13日に災害ボランティアセンターを立ち上げた。その後発生した福島第一原発の水素爆発等の重大事故により、避難を余儀なくされた浜通り(福島県沿岸部)の住民を受け入れることとなった。市内の避難所には一時1000人を超える市民と原発事故による避難者約250名が避難していた。
  • 市民は徐々に自宅に戻ることができたため、社協の活動は原発事故による避難者の支援にシフトした。5月に本宮市と原発事故で全町避難となった浪江町が支援に関する協定を結び、その後市内に仮設住宅が整備された。本宮市社協は「市民と同じように支援をする」という思いのもと、避難先社協だからこそできる支援や役割を模索しながら活動をはじめた。



【取り組み】

  • 市民と一丸となって避難者支援(H23年3月13日~)
    ・本宮市社協と赤十字奉仕団が中心となって避難所へ炊き出しを行い、温かい食事を提供した。防災無線と市内のコミュニティFM放送を使って食材の寄付を呼びかけると市民からたくさんの野菜や調味料が届いた。各避難所への配達には地元商店街の方たちが協力を申し出てくれた。また、市民ボランティアが避難所を訪れて避難者と一緒に身体を動かすよう促したり、避難所の一角をマッサージコーナーにしてマッサージを施すなど、自分ができることを持ち寄り、協力しあって避難者の支援を行った。

    ・3月下旬、市内の雇用促進住宅20戸を借り上げ住宅(みなし仮設)として使用できるよう清掃を行った。住宅は長い間人が住んでおらず老朽化し汚れていたが、畳やふすまもきれいな状態にして避難者がすぐにでも移り住めるよう市民ボランティアとともに整備した。
  • 「仮設住宅の支援」と「浪江町」について学ぶ(H23年6月)
    ・市内に仮設住宅が整備されることになり、市のボランティア連絡協議会でも「仮設住宅の支援について勉強会がしたい」「浪江町についてもっと知りたい」という要望があった。社協は、中越沖地震を経験している新潟県柏崎市社協の生活支援相談員を招いて仮設住宅支援についての研修や浪江町についての勉強会を実施した。


    ・仮設住宅が完成すると、各部屋に寝具や食器などの生活物資を搬入する作業が生じた。市内には7カ所、394戸の住宅が整備され多くの人手が必要となったため、社協がボランティアを募ったところのべ338名の市民が協力してくれた。その後も、避難者に対する仮設住宅入居説明会の準備、説明会の運営など社協とボランティアが協力して活動した。

  • 生活支援相談員を配置(H23年8月)
    ・仮設住宅への入居が始まった8月、社協に2名の生活支援相談員を配置し避難者支援の業務は相談員を中心に行うことになった。仮設住宅を戸別訪問し入居者の安否確認と困りごとや支援ニーズの聞きとりを始めたことで、避難者一人一人との関わりが増えていった。


    ・仮設住宅への戸別訪問で、近所との交流がなく話をする機会も少ないという住民の声が多く聞かれたため、交流の場をつくる支援を始めた。まずは各仮設住宅で茶話会を実施。その後、地域住民との交流など避難先社協の強みを生かした様々なサロンやイベントを開催した。

    <詳しくはこちら>


  • 避難者にボランティア活動をすすめる(H24年3月)
    避難で仕事や趣味の場を失っていた方たちに、ボランティア活動を勧めた。すると、仮設住宅の婦人部が老人ホームでボランティアをしたり、社協の給食サービス事業(※)の調理ボランティアとして活動をはじめた。調理ボランティアでは、避難前に給食センターで働いていた方や飲食店を経営していた方が即戦力となり、現在も活躍している。いずれも、「お世話になった本宮市に、自分たちにできることで少しでも恩返しをしたい」という思いで快く協力してくれた。

    ※給食サービスは本宮市社協で約30年続いている。調理ボランティアとして登録している団体が高齢者を対象に配食サービスや会食会を実施している。




【工夫】

  • 避難元社協の相談員と同行訪問をしていると、仮設住宅に入居された方の中には「体験していない人には理解できない」と辛い被災経験を話したがらない方もいたが、同じ体験をした避難元社協の相談員には打ち明けることができていた。そこで、“避難元社協だからできる支援と避難先社協だからできる支援がある”と発想を変え、本宮市社協は避難者同士の交流や避難先での仲間づくりを支援しようとサロンと交流会を率先して開催した。
  • 本宮市民からは、避難所が閉鎖された後も避難者との交流を望む声があった。地域住民と避難者の交流の場をつくることは避難先社協の役割と考え、まずは避難者を対象に開催していたサロンや交流会に地域住民も参加してもらい交流のきっかけをつくった。その後、避難者には地域での活動の場としてボランティアをすすめるなどし、相談員は“つなぎ役”となって双方の思いや希望を聞き交流を深める手助けをした。


【効果】

  • 1日でも早く避難先での生活に慣れて欲しいと、仮設入居当初から社協と市民が一丸となって避難者との交流支援をしたことで、地域住民との絆が生まれた。仮設住宅を退去しても本宮市で暮らしたいと思う方が増え、本宮市に復興公営住宅建設を求める署名活動が行われた。要望は叶い、本来の計画にはなかったが本宮市に復興公営住宅が整備された。
  • 避難者へのボランティア活動の誘いは、避難先での生活に居場所や生きがいを見つけてもらいたいという思いで行った。ボランティアを始めた方の多くは、避難してからは受ける支援に対してお礼を言うばかりだったが、ボランティアをして市民から「ありがとう」と感謝の言葉を伝えられたことに感動したという。避難先での新しい活動で居場所、生きがいある日々を取り戻した方は、本宮市で生き生きと生活をしている。


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