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避難者への生活支援とボランティア活動を伝えます

Vol.33 遠藤 裕也(NPO法人富岡町3.11を語る会)

2017/09/20
 

みなさん、こんにちは

一段と高くなった空に秋の訪れを感じる時節になりました。
今回は、僕が所属しているNPO法人富岡町3.11を語る会の活動を中心に書かせていただきたいと思います。僕は、福島県富岡町に生まれました。
東日本大震災の年は、中学2年生でした。卒業式のあと、すぐに家に帰りたくなくて、みんなで残って遊んでいる時に地震が起きました。最初に避難したのが川内村でそのあと郡山市、宮城県仙台市、気仙沼市と移り今は、家族と郡山市に住んでいます。

2016年に法人格を取得した「NPO法人富岡町3.11を語る会」は、震災の語り人(かたりべ)派遣・育成事業と交流拠点づくりをしている団体です。代表の青木淑子さんは、歴史の証言者として語ること、伝えることが会の使命だといつも言っています。僕は、母を通して会のことを知り、大学1年の時に語り人の登録をしました。僕の気持ちを動かしたのは、広島で被爆体験を語る語り部さんとの交流でした。高校で生徒会の会長をしていた時、広島市を訪ねて語り部の方々のお話を聞きました。語り部さんの高齢化が進んでいていることを知り、語り継いでいくことの難しさを感じました。そんな時に母から富岡町3.11を語る会のことを聞いたので、やってみてもいいかなと思って引き受けました。

語り人としての僕の最初の口演を聞いてくれたのは、今から3年前、東京から来てくれた中学2年生の方たちでした。震災を思い出しながら話すうちに泣いてしまって、「もう話せないかも…」と思いながら最後までがんばりました。口演は、名古屋など遠方に出かけることもありますが、どちらかというとツアーで福島県内に来られる方にお話することの方が多いです。そうした中、今年初めて県内の高校生に語る機会に恵まれました。大地震と津波、原発事故の爪痕は、同じ福島県でも地域によって異なるので、今春、帰還困難地域を除いて避難指示が解除された富岡町で福島県立東高等学校の生徒さんにお話できたときは、素直にうれしかったです。みんな真剣に聞いてくれました。

口演で僕が必ず伝えるのは、今隣に座っている友達といつ離れ離れになるか分からないということです。避難生活で一番辛かったのが、昨日まで一緒だった友達に会えないことでした。そういう経験をした僕が話すことで、友達の大切さや、防災の大切さを考えるきっかけになってくれればいいなあと思っています。

僕は、県内唯一の保育系の4年生大学、福島学院大学福祉学部こども学科に進学しました。現在、3年生です。保育教諭として認定こども園にも勤められる幼稚園教諭一種免許状と保育士の資格取得を目指しています。子どもたちには、自分がそうだったようにのびのびと元気に育ってほしいと願っていて、そういう環境を届けられる保育教諭になることが目標です。

僕の故郷は、避難指示解除になりましたが、福島県内には、震災から6年が過ぎた今も自宅に戻れない人たちがたくさんいます。そのことを忘れてほしくないので、僕はこれからも語り人を続けていくつもりです。両親は、富岡町の自宅を修復する方向で考えているので、皆さんには、できるだけ富岡町に来てほしいと思っています。自分の故郷に立ち入り禁止のバリケードが立っている場所があるってやっぱり信じがたい光景です。テレビではなく、現実を見てほしい。案内しますので希望される方は、NPO法人富岡町3.11を語る会に連絡してください。

プロフィール

遠藤裕也
NPO法人富岡町3.11を語る会 語り人(かたりべ)
https://www.facebook.com/富岡町311を語る会
福島学院大学福祉学部こども学科3年生
地域貢献クラブ AMUZ(アムズ)所属
福島県富岡町生まれ、郡山市在住



認定こども園にも勤められる保育教諭を目指しています



平成29年4月、避難解除になった富岡町の文化交流センター「学びの森」で行った口演。福島県立東高等学校の皆さんにお話しました

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